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サッカーと書評生活

本が大好きです。サッカーも好きです。

Amazonのカスタマー―レビュー・参考になったが1,000件を越えました。

実はしょぼしょぼと、Amazonのカスタマーレビューを書いています。
https://blog.ameba.jp/ucs/top.do?frm_id=v.mypage-header--ameblo-management--blog
主に読んだ本、Anazonで購入したもの、自分で購入したものを含めての書評を中心にしています。時々購入した物品のレビューンもありますが、ほとんどが書評です。

そのレビューの、「参考になった」がやっと1,000件を越えました。
投稿したレビューが190件なので、1例につき平均5件の「参考になった」いただいていることになります。
 
Amazonレビュー
いちばん「参考になった」がついたのは、102件です。 最低なもちろんゼロ件。
ベスト50レビュワーは何と20,000件以上、そこまでに達するのはまだまだですね。


やってみると、これは受けるだろうと自信をもって書いたものが、あまり受けずに、大して受けないだろうと書いたものがたくさん「参考になった」がつく場合もあります。
基本的に発行が新しいものほど、「参考になった」が多いようです。
そして、自分の書評は結構辛口だと思います。

一例をあげてみます。

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更科功著 『残酷な進化論』(NHK出版、NHK新書、2019年9月9日発行につてのレビュー
『挑発的なタイトルの割には・・・・・・』
2019年12月5日に日本でレビュー済み
形式: 単行本

『残酷な』という挑発的なタイトルの割に内容は既知のことばかりで新鮮さは感じられない。著者が博識であることはよくわかる。ただ読者に対して”上から目線”なのが気に掛かる。「理系の池上さん」といった感じだ。

進化の本質は”核DNA塩基のランダムな置換による蛋白の変化とその後の選択”である。しかし本書では分子レベルの記載が欠けている。そしてダーウィニズムに偏りすぎているように思う。進化には意味も方向性もない中立的・偶然的選択の要素も強いはずだ。その点では前著『絶滅の人類史』に比べて大幅な後退は否めない。P93で進化には「方向性選択」と「安定性選択」の両方向があることを示している。両者を並立させることは難しく、”あちらを立てればこちらが立たず”という二律背反的状況の中で、折り合いをつけながら各生物は進化してきた来たということが本書のキモだろう。それに伴う不完全な進化はすべての生物に言えることであって、あたかも人類に限って『残酷な』などと不完全さを強調するような語り口は詭弁である。例えば、左心室が高圧なのは人類が直立歩行を選択したからではなく、体循環(左心)系は血管抵抗が高く、肺循環(右心)系は低いからである。これは心臓に4室を持つすべての哺乳類で共通したことで、ヒトより血圧の高い動物などいくらでもいる。まあ、そのようにハッタリをかまさないと売れる本にはならないわけだが、淡々と記すべきところを大げさに表現して読者を惑わせる手法はいかがなものか?

評価すべきは文章がとてもうまいことである。オリジナリティは微塵も感じられないものの、表現は巧みで面白い。帯に躍っている「知的エンターテインメント」という言葉どおり、気晴らしに読むには最高の一冊だ。しかし読み終えたところで残るものはあまりない。

本書の”はじめに”での「アルファ星にヒトとミミズとマツが移住させてもらったところ(中略)ヒトは何の役にも立ちませんでした」は、巧妙なたとえとしてこの欄で高い評価を得ているが、実は『文化がヒトを進化させた』(J.ヘンリック、英語原著2016年、邦訳2019年7月26日)にある「あなたたち50人とコスタリカのオマキザル50匹とを落下傘で中央アフリカ奥地の熱帯雨林に落とすのである(中略)やたらと自負心の旺盛なヒトチームはおそらくサルチームに惨敗するであろう」のパクリである。
私は更科氏の著作は何冊も読んでいるが、そのモチーフはすべて外国(英文)もののパクリであると断言してよい。しかし原著が和訳される頃にはすでに更科氏の日本語パクリ作品が上梓されている。ということは、更科氏が原著をしっかりと読んでいる訳で、その英語力と読解力、さらには日本語文章の構成力には目を見張るものがある。その才能を研究に向ければきっと良い研究者になれると思うのだが、このようなパクリの駄文に精力を費やすのは才能の浪費と言えよう。

このレビューは私としての自信作です。
これには11人の方から「参考になった」の評価をいただいています。

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書評:日本鉄道史 昭和戦後・平成編

日本鉄道史3
老川慶喜著、中公新書 2019年

同著者の『日本鉄道史』3部作の完結編で、戦後から現在までの日本の鉄道を俯瞰しています。戦争によって大きな打撃を受けた官鉄・私鉄の日本の鉄道は、戦後の混乱期に統制を欠き重大事故が頻発する最悪の状態からスタートしなければなりませんでした。しかしそれを乗り越え、今ではたくさんの列車を運行し、世界有数の旅客鉄道王国となっています。



この70年間の鉄道を取り巻く大きなエポックメーキングな出来事としては、①公共企業体としての日本国有鉄道(国鉄)の発足②東海道新幹線の開業③国鉄分割民営化によるJR7社の発足の3つが挙げられると思います。しかし、本書ではこのような大きな国鉄系の構造的変革に止まらず、旧国鉄・JR系のローカル線、貨物輸送、大手私鉄、地方私鉄、路面電車など、鉄道トータルについての戦後から現在までの流れが取り上げられ考察されています。

著者は国鉄内部からの反対を遮って当時の国鉄総裁・十河信二の英断によって標準軌・別線として建設された東海道新幹線の開業については画期的こと、さらには世界の鉄道復権に寄与したことと評価しつつも、その陰で並行在来線の優等列車全廃、ローカル列車の削減に対しては疑問を投げかけています。台湾のように新在共存というやり方もあったのではないでしょうか?。また今後の新幹線はそれをさらに極めた「整備新幹線」というスキームに則って建設運用されますが、このやり方に問題はないでしょうか?JR東海が独自に進めることになったリニア中央新幹線にも、全国新幹線ネットワークに組み込まれないことからその建設開業については慎重な態度です。

1964年、華々しい東海道新幹線開通の影で国鉄は初めて赤字会計を計上し、以降赤字金額は雪だるま式に増える一方で回復することは遂にありませんでした。多くのローカル路線は改善策を示されたり公的支援を受けることなく、全国ネットのシステムから切り捨てられました。
このように戦後の鉄道の展開には、功罪相半ばするものがあることを本書は我々に伝え、今後の鉄道のあり方について様々なヒントを与えてくれているように思えます。

読書感想文『交雑する人類』 David Reich

NHK出版 2018年

 

”全ゲノムに記された我々人類の履歴”

 

最近読んだ本では興味深い一冊だったのでご紹介します。(Amazonにレビューしてあります)

 

邦題は『交雑する人類』だが、原著のタイトルは、”WHO WE ARE AND HOW WE GOT HERE”である。この微妙な差をはじめに知っておく必要があるだろう。本書は3部形式、全12章の構成となっている。

第1部(第1~3章)は総論で、古代人骨のゲノム解析の基礎と歴史について述べ、ホモサピエンスとネアンデルタール人、デニソワ人との関係についても記す。
2009年にスヴァンテ・ペーボ(Svante Pääbo)らが、ネアンデルタール人の化石骨よりDNAを抽出して全ゲノムを解読し、アフリカ人以外の現代人にはネアンデルタール人のDNAが含まれ、ホモサピエンとネアンデルタール人との異種(?)の交雑の跡が示された。以来、古代(化石)人骨のゲノムの発見が相次いでいる。日本でも2014年には縄文人の全ゲノムが解読された。それらのデータは2013年に開設され、本書の著者・遺伝学者のデイヴィッド・ライク (David Reich) がアソシエイトを務める古代DNAの全ゲノム研究に特化した「ブロード研究所」(米国マサチューセッツ州ケンブリッジ、https://www.broadinstitute.org/)に集まるらしい。そしてそこにデータベースが構築されているのだろう。
こうした古代人(一応ホモサピエンスとするが、旧人のネアンデルタール人その他でも構わない)の全ゲノムデータは、亡くなった時点までの個人および彼・彼女が属する種の履歴が刻まれた巨大容量のメモリーカードのようなものものだ。そのようなデータを”多数集め”(ビッグデータを)解析することによって、我々の様々な過去を知ることができるだろう。「考古学+分子古人類学」といったスタンスの、今後楽しみな研究分野である。

第2部(第4~9章)ではホモサピエンスの5大陸への拡散の過程を古代人骨ゲノムの解析の結果から検証する。
古代人骨のゲノムを解読することによって、我々ホモサピエンスの20万年前のアフリカでの誕生から約6万年前にアフリカを出て、5大陸および島嶼部にあまねく拡がった詳しい足跡を知ることができる。その結果、人類拡散の経路が解っただけでなく、それぞれの地域の人間集団は様々方向からやってくる異なる系統の集団との度重なる”交雑”によってできていることも解ってきた。
現代ヨーロッパ人は、おおよそ3つの集団の交雑により成り立っている。そのうちの東方からやってきた集団は、ユーラシア北部から東方向にも進み、ベーリング陸橋を渡って他集団と交雑してアメリカ大陸先住民の形成にもかかわっている。このようなことはヨーロッパ・中東のほかインド、アジア・太平洋、アメリカ大陸の各進出地、アフリカ内でも同様に起こっていると著者は記している(各論は割愛)。その過程には、すでに死滅してしまった集団(ゴースト集団)の介在が予測される場合もある。また交雑は現生人類(ホモサピエンス)同士に限ったことではなく、ネアンデルタール人やデニソワ人といった旧人との場合もある。

だが、ここでちょっと待ってほしい。確かに古代人のゲノム情報を”多数”集めれば、人類集団の拡散の足跡や交雑の跡その他が解るだろう。では、その元となる古代人のゲノムデータは全世界的に満遍なく揃っているのだろうか?
西ヨーロッパではこの分野最先端のS.ペーボ率いるライプツィヒのマックス・プランク進化人類学研究所もあって、データ数は十分かもしれない。北米もそこそこにあるかもしれない。アジアでは?日本、中国、インドなど人骨サンプルの持ち出しが固く禁止されている国・地域も多いが、そのようなケースでもデータ自体は開示されている場合もある。いざとなれば著者らは対象国の研究者に共同研究を申し込み、そのデータを電子媒体で得ることで古代人のDNAデータベースを増やすことができる。しかし南米や東南アジア、アフリカのデータはいったいどのくらいあるのだろう?それについては第12章で「2017年現在で古代DNAデータの90%近くが西ユーラシア(ヨーロッパ)から来ている」と著者自身がデータの偏在を認めている。
サンプル数が少なければ、それによって導かれる結果の信頼性も怪しいものとなる。よって、全地球的なデータの積み上げが今後ぜひとも必要となろう。それがそろった時の結果をあらためて知りたいものだ。

第3部(第10~12章)では全ゲノム解析と社会的な事象との関わり及び将来について論ずる。
第10章と第11章もまた興味深い。第10章「ゲノムに現れた不平等」では人間集団間の過去・現在にあるの社会的不平等な交雑の跡がゲノムに記されている。それで、過去の”交雑”が平和裏に行われたのか、それとも暴力的だったのかが判る(かもしれない)。
11章「ゲノムと人種とアイデンティティ」では、”人種”というデリケートな問題に言及している。著者は1972年にR.レウォンティーンが述べた「人種間の差異よりも人種内の差異の方がはるかに大きく、人種分類することには何の意味もない」という発言に対して、ヒトゲノム解析の進展によって「人種間には現実に生物学的違い存在する」ことを認めている。ゲノム解析により現在のアメリカ黒人には過去現在の”交雑”の結果、平均20%強の西ヨーロッパ人の遺伝子が混じっているが、人種間の生物学的違いを著者のように肯定的にとらえれば、医療等人類の福祉に役立てることができる。しかし過度に強調されれば人種間緊張を助長することになりかねないので注意が必要だろう。

追記:私の感想
現在、我々は古代人のゲノムさえ解析できるテクノロジーを手にしている。すでにで個人のゲノム分析解読するする民間の商業ベースでのサービスも始まっている。ヒトゲノムとその解析結果をどう利用すべきかが倫理面も含めた取り決め・規制が近い将来問われるだろう。本書の原題はポール・ゴーギャンの有名な絵画に添えられた言葉の英訳”WHO WE ARE AND HOW WE GOT HERE”である。ヒトゲノムの解析がポピュラーになった今こそ、この言葉の意味を改めて考えてみるべきときだろう。

北は晴れていた

 6月とは思えないほど寒い日でした。

夕方、北の空は晴れていました。

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日本サッカー辛航記 佐山一郎

私にはハリルホジッチ解任と日大アメフト部問題とが、どうしてもかさなってしまうのです。

 

悪者=日大・内田ほか、日本サッカー協会(JFA)・田嶋ほか です。

 

つまり

スポンサー(キリン、アディダスほか):彼らはスター、ここ2010年以来の日本代表を支えてきた。スポンサーは彼らを出さないとカネ出さないと迫る。アディダスを履く香川は10番をつけるのは当然と迫る。

 

本田、香川、岡崎たちは、日本代表の顔であるのに、ハリルが重用しないのはけしからん。と勝手に思ってる。よって本来は、協会は彼らのハリルへの不満など無視すべきなのに聞き入れて、逆にハリルを切った。

 

でも、ハリルを選んだのは一体誰だったの?ハリルに全権を任せたんじゃないの?それなのになんでここに来て、「日本のサッカーはボールを保持して云々」なんてことを言いだすの?ブラジル大会の惨敗から縦に早いサッカーが必要だったんじゃなかったの?本田がそれに適応できないのだったら、選ばなければいいだけ。不満なのは一部の選手ではなくて、実はパス(ポゼッション)サッカーにこだわるJFA内の一派でしょう。

 

つまりは、JFA内の内紛の犠牲となったのがハリルでしょう。

 

ハリル:日本代表の勝利のためにはオレのやり方が当然優先。そんなの関係ねエ。と思うのは当然です。

 

まあ、協会スポンサーが喜ぶように、ロシア大会は彼らベテランに花を持たせてやりましょう。きっと惨敗だろうが、2010年だって大会前の評価は散々だったのに、岡ちゃんのマネージメント力でベスト16入り。サッカーは何が起こるかわからない。なにせ西野さん、アトランタ五輪でマイアミの奇跡・ブラジルを破った人なんだから・・・・・。

 

ロシア大会終わったらすぐに本田、香川、岡崎、長谷部、川島たちを切って新しい日本代表をつくってほしいですね。いま日本代表への期待はこれだけです。

 

先日こんな本を買いました。これから読んでみます。

佐山一郎、2018年5月30日、光文社、900円