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北の風景と書評生活

本が大好きです。北の空や風景を見るのも好きです。

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堀淳一さん逝く


コンターサークル、及びコンターサークル-S前主宰者、地図研究家・エッセイストの堀淳一さんが11月15日自宅で亡くなりました。享年92歳でした。葬儀は個人の意思で行われず11月29日荼毘にふされました。

11月13日までお元気な姿が観察されていました。私が最後にお会いしたのが11月5日、コンターサークル-Sの仲間と一緒に会食しましたが特に変わった様子はありませんでした。

全国の堀ファンは大変悲しまれると思います。
私が最後に摂った堀さんの写真は、9月16日3名で会食した時でした。ご冥福をお祈りいたします。 

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京王プラザホテル札幌にて(2017-09-16)

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コンターサークルSの旅 道道120号線 大曲峠旧道を歩く

過去のコンターサークルS遠足(旧道歩き)の記録です。


道道120号線は美深町仁宇布より枝幸町、旧歌登町を経て中頓別町に至る道北のなだらかな山間部を縫って走る道です。沿道の人口は少なく、道は原始林の山間部と、牧草地のひろがる盆地を連ねています。夏はさわやかな景色の楽しめる快適な道です。しかし、かつて山間部は砂利道の続く悪路でした。



そんな、かつて悪路だった部分のひとつが、現枝幸町内の大曲峠の前後です。今の部分は国鉄美幸線未成線の天の川トンネルを転用した新道に切りかわっています。新道と旧道との関係は下の地図1(新道及び旧道)、地図2(旧道)にに示しました。その旧道の部分を今回歩いてみようということです。

anmanogawab2 
(図1) 2.5万上徳志別(H27) および 黒岩山(H22) より
oomagarikyuudou_edited-1.jpg 
(図2) 5万図 乙忠部(H4) および 仁宇布(H4) より

期日は2012年7月6日、朝10時30分に宗谷本線美深駅集合。ここから道道120号線を北東に向かい、仁宇布を過ぎ、枝幸町内に入り、新道と旧道との分岐点(地図1、J)、一台車を置き天の川トンネルを抜け北川の旧道合流点)地図1、A)から旧道に入り、B地点に車を置いて歩きはじめました。


以下、歩きの様子を写真で示します。歩いたコースは図2でのBからJまでです。

201207008大曲峠 001b 
B地点に車を置いて歩きだす。いきなり林道のゲートは現れる。


201207008大曲峠 003b 
パンケカヨナイ川に架かるコンクリート橋を渡る。(C地点)


201207008大曲峠 015b
 今は「天の川林道」となっている。(C地点の先)


201207008大曲峠 022b 
早くも旧道らしい雰囲気(CD間)

201207008大曲峠 028b 
怪しい糞を発見。

201207008大曲峠 055b 
さらに進む。

201207008大曲峠 066b_edited-1 
F, Gの中間にある大曲峠。平成の合併前の枝幸町と歌登町との境界であった。また、徳志別川とフーレップ川との分水界である。

201207008大曲峠 077b 
下りに見られたカーブミラー(H地点)

201207008大曲峠 099b 
もうすぐ新道に合流(J地点手前)この日の歩きはもうすぐ終了。


B級湖沼について

これからは、鉄道、地図、自転車の記事とともに過去の(現在も含めて)コンターサークル(2004年よりコンターサークルS)旅の記事を書いていきたいと思います

私たち,コンターサークルSのメンバーのあいだでは,”B級湖沼”という言葉をよく使います.いまは”B級グルメ”がはやりですが,”B級”という言葉を一般化させたのは,多分コラムニストの泉 麻人氏だと思います.彼の文章のファンであった私が20年くらいまえから,あまり有名でないが(マイナーな),地図で見つけることのできる,ちょっと良さそうな湖沼を”B級湖沼”と呼び始め,コンターサークル(当時はSはつかなかった)で,北海道のそれらを訪ねる小旅行(地図歩き)を行ってきました.

私は,発案者として,サークルでの旅のほかにも個人的にいくつかのB級湖沼を訪ねる旅を行って来ました.これから,このブログで断続的にそれらを紹介していきたいと思います.

2004_0523画像0053b 

上の写真は、北海道勇払郡厚真町の厚真川最上流にある、ペンケセタ沼(仮称)です。
出かけたのは、2004年の5月末、新緑の美しい時期でした。
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 仮称:ペンケセタ沼の由来は、我々が探索を終え、車に乗り込もうとしたその時、ハンターが連れてきたと思われる黒いイヌ3頭が突然我々の前に現れたことによります。(セタとはアイヌ語で”イヌ”の意味)。
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国道333号線旭峠旧道を歩く

冬はネタ切れになりますので、時々古い記事をリニューアルしていきたいと思います。まずは第一弾
今から5年近く前の 2011年5月30日の話です。

早朝のチャンピオンズリーグ決勝(マンチェスター・ユナイテッドvsバルセロナ)の興奮冷めやらぬ,5月29日日午前7時,コンターサークルSおよび北海道旧道保存会の旧道歩きに参加するために,遠軽駅に向かって車を走らせました。国道333号線旭峠は数年前に,自動車専用道「旭峠道路」が開通したために,いまは旧道となっていますが,新道は自転車や歩行者は通れないために,旧道は廃道とはならずに維持されています.今日はここを歩く予定なのです.遠軽駅での待ち合わせ時刻は10時55分,待っていたのは堀 淳一さんただひとりでした.7人で歩いた先週の旧道歩きにとは対照的に今日は二人だけの歩きとなりました.
旭峠_edited-1  
2.5万分の1地形図 生田原(平成15年発行)より このの図では新道はまだ予定線となっている。
遠軽駅でタクシーを一台拾い,私の車と2台で出発.新道との西側の分岐点に私の車をデポし,タクシーに乗り移って新旭トンネルを越え,東側の合流点へ,さらには旧道を戻って,オンネルベシベ川をさかのぼって,旧道と新道が近接するところでタクシーを降り,歩き始めました.天候は曇りで、まずまずのコンディションでした。

数百メートル進みますと旧道は,新旭トンネルとなって直進する新道と別れ,オンネルベシベ川に沿って大きく北に回りこみます. 
国道333旭峠旧道 002b  
       歩きはじめの地点にて(堀 淳一氏)
いよいよ旧道らしくなってきました.オンネルベシベ川という名のとおり,この道は古くからアイヌの人たちによって峠越えの道として使われてきたこがわかります。

われわれコンターサークルSおよび北海道旧道保存会では,旧道歩きの際,沿線の水準点を可能限りが発見,場合によっては発掘するように努めています.緩くカーブを切った地点に201.0mの水準点があるはずなのですが,見つかりませんでした.

そこから1キロ弱進みますと,いかにも旧道らしいへピンカーブ)に差し掛かりますそれにしても,廃道ではないのに,ここまでであった車はたったの1台.この道は,この日我々二人の独占物のようなものです.
国道333旭峠旧道 009b
大カーブ  
しばらくすると,サミットの旭トンネルに到着しました.銘版には昭和31年開通記念と記されていましたので,造られてからすでに54年がたっています.内壁には緩衝材が当てられ,表面を金属板で覆っているために内側が光って見えます.トンネルの中央が佐呂間町と遠軽町との境となっています 。
国道333旭峠旧道 020b
旧道野サミット 旧旭トンネル

国道333旭峠旧道 032b
旭トンネル内                                       

トンネルの出口に,274.8mの水準点(H)があるはずなのですが,これもはずれでした.あとは下りとなります.

もうひとつのヘアピンカーブを過ごししばらく行くと,旧道と新道は一度近づきますがふたたび離れ,旧道はやや広くなった谷を緩やかに下ります。

国道333旭峠旧道 043b 
下りの旧道

左手は,白樺を中心とした疎林右手は牧草地です.左手にこの日初の水準点(I)を発見しましたそこから,約1キロほど歩くと,新道との合流点(J)となります.新道は築堤上を直進しているため,旧道は途切れた形となっています.

本日の旧道歩きはここまで,歩行距離は約4kmでした.

国道333旭峠旧道 051b 
白樺の疎林、新緑の候である。

国道333旭峠旧道 053b 
トンネル西口より約1km西にある199.4mの水準点

国道333旭峠旧道 056b  
新道と合流

関東の三県境再訪

昨年10月11日にコンターサークルSで、関東の古河市近くにある3県接合点(埼玉県加須市(旧北埼玉郡北川辺町)・栃木県栃木市(旧下都賀郡藤岡町)・群馬県邑楽郡板倉町)について再度訪問してきたのでその結果を報告する。

なお、初回訪問時についてはは2013年11月6日の記事を御参照ください。http://chizumania.blog.fc2.com/blog-entry-133.html

三県境   
2.5万分の1地形図 古河 に加筆
2014 10 11_0231 
ここ庚申塚より県境を探して歩きはじめる。(B)一昨年は左の道路が県境だと思っていた。
 k3.jpg
i Phoneの情報によればこの道路は栃木県内にあるようである。道路左の家も栃木県に属するらしい?
z13.jpg 
上のような様子が示される。(地点C)
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つまり実際の埼玉(左)・栃木(右)県境はこの小さな用水路であった(C)。その先を西にたどってゆくと、
県境_edited-1  
3つの用水路が接する点がある()。ここが三県境である。
k7.jpg 
三県境には手書きの標識が設置されてあった。一昨年の7月には田の稲の背が高く隠されてしまっていたのだ。
k8.jpg 
ここで一同記念撮影
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次に、群馬(右)・埼玉(左)県境。やはり用水路からなる。じゃ間の高低差あり。(Gより北を見る)
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k10.jpg 
群馬県のでっぱり部分(G)

以上、上の地図でのA,B,C,D,E,F,G,F,Hと歩き、東武日光線柳生駅より東京(宿泊地)に戻った。

(続きがあります)



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